桜咲く季節のせいか、塾長をしていた時の思い出が蘇る今日この頃です。
はて、あの頃「そういえば、チラシを入れなくとも塾生が毎年ちゃんといたよな…なんでだ?」
当たり前のことですが「紹介」です。
保護者からの紹介が殆どでしたが(この理由はまたの機会に)が、塾生の友人もポロポロと(他の塾から移って)来ました。
時代が流れ、(時流の理由も否定できませんが)友人紹介が少ない昨今ですが「紹介が出る本質的理由」は変わらいと思いますので話を続けます。
紹介が出る一番の理由は「塾生(子供)との信頼関係の構築」です。
子供との信頼関係を創る上で、最も気を付けていたことは「自分ができない・しなかったこと」は決して子供には言わないことでした。
例えば、あるイケてない(子供が馬鹿にする)講師は
「いいか!100万回書けば覚えるぞ!」とか「テスト期間中のは3日間は、寝ないで勉強しろ!」とか…
「お前は(講師)やったことあるのか? ないだろ!」私はそう思いますし、子供達だって「言ってるだけだ」としらけます。
勢いで指導することがないとは言いませんがこれはダメです。
「覚えるのは大変だよな。頭の中で反芻(反芻の意味がわからない場合は説明:敢えて日常使わない言葉を使って語彙力を増やすように仕向ける)しながら書く事が大切。1回でダメなら2回、2回でダメなら5回、5回でダメなら11回(10回じゃダメなの?と言われるのを知っているので、わざと11回なのです)書くんだよ」
(11回ということで子供は、なぜ?と聞く耳を立たせます)
「ほら、見て。(右手の中指のペンだこを見せる)これは、たくさん書いたからこんなんなっちゃうんだ。先生だって、○○と同じ(君たちと同じ)アホだから見ただけじゃ覚えられないよ」
「アホでも努力すれば優等生!部活だって、いきなり試合に出たりレギュラーになれないだろ…」
(へ~、そうなんだ) (だよな~)
と納得。
e-learning主体の指導で、あるフランチャイズ本部では
「先生は、監督です。励ましと褒めることだけをしてください。」と言います。実際、そのように接しても塾生が定着しなくて困っている…そこには、「血の通った指導」と「共感的理解」がありません。
小学校低学年生が、タブレットで勉強する・勉強できることととは、本質的に異なるものなのです。
これは、「興味」と「単純な学習作業」です。